家族間の興味関心だとかごちゃごちゃ
私の家族は母と猫。
だけ。
大事だ。
そんな母でさえも、関心はあるけれど興味はあまりない。
昔から、離婚する前から。
そういう家族であったとおもう。
その名残なのかもしれない。
母とは友達のような感覚で接している。
親は親だとわかっているが、感覚は、友達のような。
母は私が何かを訴えてみても「知らない」「わからない」しか言わない。
向こうも、心配はしているのだろうけれども、なんというか「私に聞かれてもわからない、んなもん医者に聞いてくれ」って感じなのかなと。
それでも訴えたことを受け止めてほしい。
知らないわからないで放棄されたくはない。
そりゃ母に聞いても「○○だからね」というような正確な回答が返ってくるなど思っていない。
ただ聞いて欲しいだけ。
「そっか」で済ませてくれていいのに。
知らないわからない。それは拒否に受け取れてしまう。
...たとえが下手くそだ、難しい。
とりあえずまあ、そんな感じで距離感を感じてしまうともうダメで、何も話したくなくなる。
私が日常で会話するのなんてほぼほぼ母だけなのに。
もう猫とだけニャーニャー喋っていようかな?
母は私の事を心配したり、気にかけたり、してくれてるだろう。
だけれどあの人もあの人で不器用だ。
感情表現も愛情表現も、下手くそだ。
私は似てしまった。そこは似なくてよかった。
母も、私のこの状態に疲れているだろう。
慣れたとは思う、でも、もうこの状態になり10年はこえてしまった。
私も母も歳を食い、母はいつの間にかよく見かけるようなオバサンみたいになった。
オバサンなんだけども。
もっと意見など言わない人だった、今はクレームだって平気で言える。スゲーな。
話を受け流す術を身につけたふしはある。
でも私は私の話を聞いて欲しい。
受け流さないで欲しい。
私にも複雑な感情があるように、母だって単純な思考でいるわけではない。
わかっている。
でも。
でも。
...我儘は、直らないなあ。
ずっとこんなこと考えながら仕事をしていたら涙が少しでたし、あまり集中できなかった。
だめだ。
疲れた。
私も私で話を受け流してしまいがちだけれど、聞いて欲しいだろう話というのは察せられる。
聞いて、何か反応が欲しい話題というのはわかる。
母にはわからないのかもしれない。
だから同じようにして欲しいと思わない。
けれども、ですよ。
うーん。
母との付き合い方を、考えねばならない。
苦労をかけてきた、今なお苦労をかけている。
今更だけど、家族であれ他人すぎる。
理解したい。
それでも適当、雑、それで特になんとも思わない。
私が変わらなければあの人も変わらないだろう。
ごちゃごちゃしてきた。
寝不足だ。仮眠しよう。
私は変わっていこうと決めた。(きっかけは別だけれど)
それが、自分だけでなく周りにもなにかしら影響があればいい。
まずは自分の成長を。
無理はしないけどね。
去年も去年で変わることもあったし色々とあったけれど、今年はもっとより良く変わっていきたい。
ネガティブは治らない。でも、努めて明るくいたいとは思う。
けれど無理矢理の笑顔ではなく、自然に笑えたらいいなと。
心は弱い。自分しか見てこなかったから。
自分にバフめっちゃかけられるようになって、上限解放したら周りにもバフかけられるようになりたい的なあれ。
周りをしっかり見渡したい、その上で自分も周りもサポート出来るようになりたい。
叔母に言われた、私にはカウンセラーが向いてるんじゃないか?というものを思い出した。
誰かの助けになりたいけれど。
この気持ちが、向いてると思わせたのだろうか?
まあうん、だからそうね、好きな人たちには前向いて欲しいから明るく声をかける、うん、確かにそうしてる。
それでも、足りなくて。
私はまだまだ自分のことばっかり。
あー、本当人生、やること多いね。
簡単に出来ることはないね。
自分の精神を鍛える、変える、だとか、どれだけかかるだろう?
滝修行でもするか?
山篭り?いや無理だけどさ。
いまは変わりたい気持ちだけ。焦るからいつもダメになる。
変わろう。
焦らないけどゆっくりでもなく。
頑張りたい、もっと。
だから、母のことも理解した上で私も変わり、そういう私の事も理解しようと変わってほしい。
本人に直接言えよって話よね。
そのうちぶちまけそうだ。
本音しか言えないもん。
さて長くなった。
書きなぐった。
寝るか。